2013年6月10日月曜日
いつだって僕らを
去年の公演後のツイッターで、「月クロの芝居は面白くない。毒がない」みたいなことを書かれてしまった。
批判コメントは基本的に受けたその日に消化・供養するようにしているが、そればっかりは引っかかった。
引っかかりすぎて、その人のツイッターを追いかけた。
松尾スズキさんが好きだという。
宮藤官九郎さんはあまり好きではなく、でも役者としては萌えるらしい(その人は女性なので)。
僕は完全に逆なので(作家としての宮藤さんが大好きで、役者としての松尾さんが大好き)、
まあ趣味がはなから合わないものなんだと思って一旦寝かしておいたが
しかしまあそれでも引っかかる。
「毒」ってなんだ?
園子温監督の作品には毒があるのか?
社会への批判性とか、人間の暗い部分とか、そういうことか?
不安になって、自分の好きな作品を見直した。
「人間のさみしさ」とか「悲しさ」を描いている作品でも、別に「毒」はない。
ええやないかと思った。
一年経って、まだ蒸し返しているけれど。
もう「毒」を作品に求めてもどうしようもないくらい、人と話していたら逐一毒々しいし、ニュースを見ていても鬱陶しくなるくらい人間は嫌な生き物だ。
もう「わかっている」。
「確認しなくてももう、知っている」
同世代のみんなはそう思ってるんじゃないの?と僕は思う。
人間関係のグチャッとしたところなんて、普段痛切に感じてるじゃない(「家族」に関してはこれとはちょっとずれると思う)。
で、そうじゃないところの方が見えにくいから、モノを作ろう、話を考えよう、見に行こう、って思うんじゃないの?と思う。
「毒」を求める時代も
「個人の悩み」に興味を持つ時代も
終わったんじゃないのか?
「人間賛歌」とかそういうことじゃなくって、
「僕」「僕ら」の明日を渇望する時代なんじゃないのだろうかしら、今は。
前作「最後のパズル」から続く、悩む若者シリーズ第二弾です。
今回はあまり悩んでいませんが、僕の今の心境です、「オレンジのハイウェイ」。
生き甲斐とか生きる意味とか要らないから、少しでも想像できる未来が、今は欲しいです。
0610
台本作業の深夜
作道
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